猫の歯科診療では、犬と比較して抜歯処置を行うことが多いです。
特に:
- 重度歯周病
- 歯の吸収病巣(FORL/TR)
- 歯肉口内炎
- 外傷(歯が折れた)
などが認められる場合、保存が困難となり抜歯を選択するケースが少なくありません。
その中で、上顎犬歯を抜歯した後に以下のご相談を受けることがあります。
- 「下の犬歯が上唇に刺さっているように見える」
- 「唇を噛んでいる気がする」
- 「唇を気にしている」

この状態は専門的には Maxillary Lip Entrapment(直訳:上顎口唇挟み込み) と呼ばれる状態です。
今回は、猫の上顎犬歯抜歯後の合併症としてのMaxillary Lip Entrapmentについて、論文データをもとに解説します。
*当院で猫の歯科処置(抜歯を含む)をご検討される場合は、以下の内容をご確認ください。
猫の上顎犬歯抜歯後に Maxillary Lip Entrapment が起こる確率は?
2025年に Frontiers in Veterinary Science に掲載された、Robert Marx らの前向き研究では、猫の上顎犬歯を抜歯した症例を対象に術後のMaxillary Lip Entrapment (上顎口唇挟み込み)を評価しています。
以下が参考論文のリンクです。
引用論文
Post-extraction maxillary lip entrapment in cats: a prospective study
Robert Marx , Margherita Gracis , Luka Šparaš , Ana Nemec
Front Vet Sci. 2025 Jul 9;12:1620100. doi: 10.3389/fvets.2025.1620100
研究結果のポイント
- 約70%で口唇挟み込みを認めた
- ほとんどが軽度
- 重度症例は認められなかった
つまり、猫の上顎犬歯抜歯後には一定の確率で「唇に下顎犬歯が当たる状態」が起こり得ることが示されています。
ただし重要なのは、多くは軽度で臨床的問題にならなかったと報告されています
なぜ猫の犬歯抜歯後に唇へ刺さるのか?
猫の犬歯は、上下の位置関係によって適切な咬合バランスが保たれています。
上顎犬歯を抜歯すると:
- 下顎犬歯のガイドが失われる
- 咬合接触のバランスが変化する
- 下顎犬歯がわずかに外側へ偏位する
その結果、下顎犬歯が上顎口唇に接触しやすくなります。
特に猫は犬歯が細く鋭いため、構造的に影響を受けやすい傾向があります。
症状が「出るケース」と「出ないケース」
猫の上顎犬歯抜歯後に唇へ当たっていても、必ずしも下顎犬歯に対して治療が必要とは限りません。
- 経過観察が可能なケース
-
- 潰瘍がない
- 出血がない
- 痛みの兆候がない
- 食欲が正常
- 追加処置を検討するケース
-
- 唇の潰瘍形成
- 慢性的な炎症
- 出血の反復
- 食欲低下や疼痛行動

治療選択肢
猫の上顎犬歯抜歯後に下顎犬歯が上顎口唇に触れることで、潰瘍形成や慢性炎症を伴う場合には治療を検討します。
治療選択肢は主に次の2つです。
- 下顎犬歯の歯冠短縮(Crown Reduction)+ 抜髄もしくは断髄
- 下顎犬歯の抜歯
それぞれの治療方法にはメリット・デメリットがあります。
① 歯冠短縮(Crown Reduction)+ 抜髄もしくは断髄
下顎犬歯の先端(歯冠)を短く切断し、唇への接触を回避する方法です。
歯冠を短くすると歯の内部の歯髄が露出するため、同時に歯髄処置(神経の処置)が必要になります。
- メリット
-
- 歯を温存できる
- 手術侵襲が比較的小さい
- 回復が早い
- デメリット
-
- 歯髄処置の精度が予後を左右する
- 将来的に歯内トラブルが起こる可能性
- 歯根の吸収病巣を誘発する可能性
- 定期的なフォローが必要
歯を残せる点は大きな利点ですが、歯内療法の質が担保されることが前提になります。
② 抜歯(歯を取り除く)
問題となっている下顎犬歯を抜歯する方法です。
多くのケースで上顎犬歯2本が抜歯されているため、犬歯4本全てがなくなります。
- メリット
-
- 再発リスクが最も低い
- 歯髄に対しての精密な治療が必要ない
- 歯内トラブルの心配がない
- 長期的に安定しやすい
- デメリット
-
- 外科侵襲が大きい
- 術後腫脹や疼痛が出ることがある
根本的な解決方法ですが、侵襲性は高い処置です。
どちらを選択するか?
当院では、次の点を考慮して治療方針をご提案しています。
- 歯自体の状態(歯周病・吸収病変の有無)
- 年齢や全身状態(麻酔リスク・今後の長期的な管理)
年齢が若く、歯が健全であれば歯冠短縮も考慮します。
歯周病や吸収病変がある場合は抜歯が合理的です。
ただし、歯冠短縮後も将来的に歯周病や吸収病変が起こる可能性はあります。
特に高齢の場合、今後複数回の全身麻酔が想定されるのであれば、抜歯を推奨することもあります。
症例ごとに最適な方法は異なります。口腔内評価を行ったうえで治療方針を決定します。

症例:両側下顎犬歯の歯冠短縮を行なった猫
症例:9歳、MIX猫
主訴:上顎犬歯の抜歯後から口唇が赤く、気にしている
検査:下顎犬歯は2本とも正常
治療選択肢:抜歯もしくは歯冠短縮(抜髄も実施)
治療:歯冠短縮+抜髄




コメント:今回は飼い主様のご希望により歯冠短縮を行ないました。今後は抜髄後の治療経過や歯周状態の評価を継続的に行なっていく必要があります。
まとめ
- 猫の歯科治療では抜歯が多いが、上顎犬歯を抜歯する場合は注意が必要
- 上顎犬歯抜歯後、下顎犬歯が上顎口唇に接触することがある
- 症状があれば治療は「歯冠短縮」もしくは「抜歯」の2択
- 治療選択肢の選定には歯の状態・年齢・将来的な麻酔リスクを含めて行う
上顎犬歯を抜歯する場合は事前のインフォームドコンセントが重要です。
術後に Maxillary Lip Entrapment が起こり得ること、場合によっては複数回の麻酔が必要になることを事前に共有する必要があります。
当院では、初回治療の前に猫の口腔内全体を評価したうえで治療計画を立て、抜歯前には必ず起こり得る変化についてご説明しています。
福岡犬猫歯科&口腔外科では、犬と猫の歯科・口腔外科の専門的な診療を行っています。
ご希望の方は、ぜひ提携動物病院までご相談ください。




